枯れるものは枯れてゆく草の実赤く│昭和九年十一月

解説

『其中日記』昭和九年十一月二十日付初出。山口市小郡の家屋を「其中庵」と命名し、定住生活を送っていた時期の句です。

山頭火は其中庵で定住生活を送る一方、旅に出ることも多々ありました。同年三月には江戸時代の俳人・井上井月の墓参を目的に、信濃上伊那郡(現・長野県上伊那郡)に向けて旅に出ました。しかし、道中で急性肺炎を患い、帰庵を余儀なくされました。息子の健や友人らが見舞に訪れましたが、旅の目的を果たせなかったこともあってか、精神的に不安定な状態が続いていました。

山頭火が四季の移ろいや小動物に強い関心を寄せていたことは、日記や句友の証言からもうかがえます。句友の大山澄太は彼の死後に『層雲』誌上で行われた座談会で、山頭火と小林一茶の共通点を次のように紹介しています。

孤獨の人として、だから兩方とも蛙やトンボや蝶々などの小さいものをなつかしんだ。

掲句は、前半の「枯れる」と後半の「赤い実」が対象的に詠まれています。晩秋に赤い実をつける植物としては、ナンテンやカラスウリなどが知られています。実の種類は不明ですが、実が紅葉し、秋の深まりを印象付ける一節です。

前半の特徴は「枯れる」という語の繰り返しです。秋は実りの季節であると同時に、冬が近づき寂草木が枯れ、衰えていく季節でもあり、文学作品では無常観や閑寂さの象徴として用いられることが多くあります。精神的に不安定な時期でもあったことから、一人孤独に暮らす山頭火が、紅葉を過ぎて枯れ落ちた葉や、迫りつつある冬に自身の境遇を重ねていたとも解釈できます。紅葉と枯れ葉という対照的な要素を通して、秋の豊かさと寂寥感を同時に表現した一句です。