解説
昭和十四年十一月七日初出。『四国遍路日記』に記されたうちの一句です。山頭火は昭和十四年九月末に当時住んでいた山口市湯田温泉の「風来居」を去り、同年十一月からは四国八十八ヶ所霊場巡礼を実施していました。
山頭火は湯田温泉時代、若い詩人らと酒宴に明け暮れる日々を謳歌しつつ、己の在るべき姿ではないと葛藤する様を日記に綴っていました。同年初夏には四国への旅を決めており、支援者の木村緑平へ宛てた手紙には「旅する外ありません」と記しています。彼にとって旅は人生そのものであり、他は考えられなかったのでしょう。
掲句が記された日の前後には多くの句を作っており、日記には秋や旅を主題とする句が多く見られます。
ほろほろほろびゆくわたくしの秋(七日)
秋もをはりの蠅となりはひあるく(八日)
秋の旅路の何となくいそぐ(十四日)
文学作品において、秋は無常観や閑寂さを呼び起こす言葉としてしばしば用いられています。山頭火もまた季節にまつわる句を多く残していますが、晩年には自らの人生を秋になぞらえ、滅びや果てのイメージを重ねるようになります。掲句は「ほんに」と強調の副詞を組み込んでおり、自らの死期が迫っていることを感じ取っていたかのようです。
山頭火は四国遍路の旅を終えた同年十二月、松山城北の御幸寺境内にある納屋を「一草庵」と名付け、再び庵での暮らしを始めました。そして約一年後にその生涯を閉じることになります。旅を己の人生そのものと捉え、半生を放浪の旅に捧げた山頭火の人生観がよく表れた一句です。
