昭和五年一月に詠まれた句。昭和四年九月から同年年末にかけて九州を旅した後、熊本に戻ってきた時期の作品になります。
山頭火は四十五歳の頃から、一笠一鉢を携え行乞を続けてきました。身軽な旅姿とは言え、独り旅を続ける彼の肩には僅かな荷物さえ重くのしかかり、肩に食い込んでいたことでしょう。
しかし、彼が本当に捨てきれなかった「荷物」は旅の荷物のことだけではありません。昭和五年十一月の『行乞記』にはこう記しています。
荷物の重さ、いひかへれば執着の重さを感じる、荷物は少くなくなつてゆかなければならないのに、だんだん多くなつてくる、捨てるよりも拾ふからである。 (『行乞記』昭和五年十一月廿四日)
山頭火は、観音堂守としての生活では自分の悩みは解決できないと気づき、悩みや迷いを背負ったまま歩いて悟りを開くことを目指していました。これまでの記録を焼き捨て、『行乞記』を書き始めた昭和五年九月の記録からは、過去を清算しようとしながら、捨てきれないことへの葛藤を抱える様子がうかがえます。
単に句を整理するばかりぢやない、私は今、私の過去一切を清算しなければならなくなつてゐるのである、たゞ捨てゝも/\捨てきれないものに涙が流れるのである。(『行乞記』昭和五年九月十四日)
また、昭和五年一月六日の書簡には、掲句の後ろに「こんな境地は一刻も早く脱却したいものです」と続けています。
徳川家康の遺訓と伝えられる『東照公御遺訓』の一節には、「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し」とあります。万人にとって、悩みや迷いといった負の感情は逃れられないものです。掲句からは、自分なりに逃れることのできない苦悩と向き合い、それでもなお解放されることを切実に望んでいた山頭火の姿が想像できます。