昭和九年十二月二十三日の句。其中庵にて詠まれました。
日記を見ると、この日は外出や友人の来訪の記録がありません。前後の日にも外出や友人と会うことが少なく、この頃は其中庵で一人静かに過ごしていた様子がうかがえます。
「小春日」は、初冬の頃の暖かく穏やかな日や、その日差しのことを指します。この句では「小春日のさせば」と言っているため、暖かい日差しのことと捉えられます。
句では続いて「障子をあるく虫のかげ」とあります。家の中から、障子の外側を這う虫が影になって見えたのでしょう。ゆっくりとした虫の影の歩みを暖かな日差しの中で見つめる穏やかな暮らしが、映像的に想像できるようです。
山頭火は掲句以外にも、其中庵の中に影を落とすさまざまなものを句に詠んでいます。
月あかり蜘蛛の大きい影があるく 昭和八年
たたみにかげはひとりで生えた葉鶏頭 昭和八年
更けて障子に街あかりの木かげはつきり 昭和八年
これらの句では、蜘蛛、葉鶏頭、木それぞれの影を見つめることで、影を落としていた実体そのものを感じ取っていると解釈できます。
この年十二月の始め頃に山頭火はイギリスの作家ギッシングの『ヘンリライクロフトの私記』を読み、それに触発されて日記の中に「のらくら手記」「ぐうたら手記」と題し、例えば「したいことしかしない私である!」(二十一日)等のような短文を載せ続けていました。また、掲句が詠まれた日の日記には、
いつでも死ねる――いつ死んでもよい覚悟と用意とを持つてゐて、生きられるだけ生きる安心決定で生きてゆきたい。
と書いています。
「手記」によって自分自身を見つめ、生死についても考えを巡らせていたこの頃の山頭火にとっては、小春日の暖かな日差しを浴びて障子に映る小さな虫の影は、虫の命そのものを感じさせる光景だったのかもしれません。
