昭和八年五月の句。小郡の其中庵に前年九月に落ち着いて初めて迎えた春です。
山頭火がたけのこを詠んだ句を調べてみると、そのほとんどが昭和八年から十年、すなわち其中庵に住んでいた時期に集中しています。この時期の日記にも、竹やたけのこはたびたび登場します。其中庵のまわりには竹が茂っていたのでしょう。
I老人、竹伐りにきて、縁側でしばらく話しあふ、 (昭和七年十月二十一日)
窓に近く筍二本、これは竹にしたいと思ふ、留守にTさんが来て抜かれては惜しいと思つ て、紙札をつけておく、『この竹の子は竹にしたいと思ひます 山頭火』
(昭和九年六月二十五日)
山頭火のたけのこの句を見てみると、「竹の子」と書く場合と「筍」と書く場合があります。「竹の子」を使う場合は、
ひとりひつそり竹の子竹になる(昭和九年)
のように、たけのこが竹になったと言う句がほとんどです。一方「筍」は純粋にたけのこそのものを詠んでおり、その中には
夫婦で筍を掘る朝の音(昭和八年)
などのように、たけのこを「掘る」という句が多く、食用のたけのこという意識が強いようです。しかし今回は「伸びぬいて」とあるため、この句の「筍」は、おそらくすでに食用にするには成長しきってしまった、しかしこれから竹へと生長していくたけのこなのでしょう。
この句で特徴的な表現が、「筍の青空」です。たけのこが竹へと成長する様子を、伸びていく先の青空を自分のものにするかのような勢いだと捉え、それを簡潔かつ大胆な比喩で表現しています。筍ではなく青空に焦点があり、低いアングルからたけのこを見上げ、その先に青空が広がっているような映像が浮かびます。
言い回し自体にも勢いの良さが感じられるこの表現によって、筍がぐんぐんと成長する様子が伝わってくる句です。