昭和十年九月十三日の句。山口市小郡の其中庵を拠点としていた時期の作品になります。
山頭火は前年三月から四月にかけて、井上井月の足跡を辿り、墓参すべく信州方面の旅を実施しました。しかし目的地である伊那に到達する直前に急性肺炎を患い、帰庵せざるを得なくなりました。昭和十年八月には睡眠薬とアルコールの大量摂取によって気を失うなど、精神的に不安定な状況が続いていました。このような状況でも国森樹明や伊東敬治らとは良好な関係を保っており、日々の活力となっていたようです。
句中でいう「夜あけの明星」は「明けの明星」のことで、明け方の東の空に見られる金星の別称です。夜明け前の限られた時間に輝き、日の出の折に消える様は儚くも美しく、長く人々に親しまれてきました。古くは『枕草子』「神楽歌」でも言及されています。
掲句が書き留められた当日の日記には、友人の国森樹明を案じる記述があります。
夜おそく、酔樹明君がやつてきた、煙草二三服吸うて帰つていつた、君の心持は解る、酒を飲まずにはゐられない心持、飲めば酔はずにはゐられない心持、そして酔へば乱れずにはゐない心持―その心持は解りすぎるほど解る、それだけ私は君を悲しく思ひ、みじめに感じる。
有仏処勿住、無仏処走過、である、樹明君。
(『其中日記』昭和十年九月十三日)
日記の内容を踏まえると、山頭火は樹明の心境に理解を示しつつも、本人に直接伝えてはいないようです。「遠い」とは物理的な距離のみならず、心理的な隔たりや直接伝えることのできない思いを含んでいると考えられます。
山頭火は己の人生は旅そのものであると再確認し、その後も一人旅を続けることになりました。別れ際の寂しさを空で孤高に輝き続ける明けの明星に重ね、感慨に浸っていたのかもしれません。