ゆふ風によみがへり草も虫も│昭和九年七月

解説

『其中日記』昭和九年七月十七日初出。同年春には信州に赴き、江戸時代の俳人・井上井月の足跡を辿る旅に出ましたが、道中の飯田で急性肺炎に罹患して入院し、旅を断念しています。その後は精神的に不安定な状態が続いていました。前後の日記でも些細な事象に対して苛立ちや嫌悪を露わにしています。

掲句の特徴として「よみがえり」という一節が挙げられます。「よみがえる」という単語は黄泉から帰ることに由来し、死んだものや衰えたものが再び元の状態に戻ることを意味します。

山頭火が四季の移ろいや小動物に強い関心を寄せていたことは、日記や句友の証言からもうかがえます。句友の大山澄太は彼の死後に『層雲』誌上で行われた座談会で、山頭火と小林一茶の共通点を次のように紹介しています。

孤獨の人として、だから兩方とも蛙やトンボや蝶々などの小さいものをなつかしんだ。

日中の暑さがやわらぎ、夕暮れ時に吹く風の涼しさによって草や虫が活気を取り戻す様子を目の当たりにしたのでしょうか。また、「草も虫も」という並列表現が用いられていることから、山頭火自身も夏の暑さに嫌気が差しており、涼しい風が吹くことを待ち望んでいたのかもしれません。

自然を慈しむ様子が垣間見える一方、百足と油虫については「すまないけれど見つけしだいに殺す」と記しています。「すまないけれど」と断りながらも「見つけしだいに殺す」と語気を強めていることから、情趣豊かな草庵で暮らす山頭火にとって悩ましい存在だったのでしょう。

夏本番を迎え、日中の暑さから解放される時間の訪れを待ちわびる姿は、今も昔も万物に共通していたのかもしれません。