みちはいつしか咲いてゐるものがちらほら | 昭和九年三月  

解説

『其中日記』昭和九年三月八日初出。山口市小郡町矢足の「其中庵」で生活していた時期の句です。山頭火は其中庵で暮らし始めて以降、心身が安定し文芸活動に集中できるようになったのか、一層精力的に活動していました。また『層雲』に住所が掲載されたことで多くの句友が訪れ、頻繁に句会を催していました。数日前には其中庵周辺でも雪が降っており、日記でも天候の悪さに触れた記述が見られますが、前日には春らしい気候となっていたようです。日記にも次のように記しています。

降つても照つても、晴れても曇つても、風が吹いても、春が来てゐることに間違はない。
日がさすと、雲雀が出てきてあるいてゐる、私も出てあるく。

掲句は「咲いてゐるものがちらほら」とあるように、春が訪れ、草花が開花し始めた情景が詠まれています。直前に「いつしか」とあるのは、数日前まで雪が降っており、気づくことができなかったからでしょうか。

この時期の山頭火は日々の行乞と文芸活動に加え、変わらず旅を続けていました。同年二月には北九州を、三月二十二日から四月二十九日にかけては信濃上伊那郡(現・長野県上伊那郡)を訪れています。結庵を達成して安住の地を得ても、旅をやめることはできなかったのです。

句友の大山澄太は山頭火の死後に行われた『層雲』紙上の座談会で、山頭火と小林一茶の共通点を次のように語っています。

孤獨の人として、だから兩方とも蛙やトンボや蝶々などの小さいものをなつかしんだ。それがわたしはなつかしい。矢張りさびしいのでしょうね。

自然を愛し、四季の移ろいに目を向け続けた山頭火の生き様が表れた一句です。