昭和八年三月の句。九州・山口の行乞を経て山口県吉敷郡小郡町(現・山口市小郡)の其中庵を拠点に活動していた時期に詠まれた句です。
句は「敬坊に」という書き出しの後に続けられています。敬坊とは小郡出身の伊東敬治のことです。彼は山頭火が東京在住だった大正十年頃から葉書のやり取りをしていました。其中庵を紹介した国森樹明と敬治の二人は山頭火の最も親しい友人の一人で、頻繫に集まって寝食を共にしており、掲句の前日にも二人と会っていたことが『其中日記』に残されています。
まことに春寒である、霜がふつて氷が張つてゐる、小雨さへふりだ
した。よい手紙がきた、うれしいな、さつそく酒を買ふ。樹明来、ふたりで飲んで街を歩ゐていると、ひょつこり敬坊にぶつつかつた、三人でまた飲んだ。戻つてきて、飯を炊いて食べる、残った酒を飲む。夜、敬坊来、ふたりいつしょに寝る、おもしろいな。
(『其中日記』昭和八年三月十二日)
樹明や敬治と過ごす時間は山頭火にとってかけがえのない時間であり、文面からも充実感が伝わってきます。一方、二人が帰った後は孤独に苛まれ、生活面にも影を落としていたようです。
敬坊と別れてから、ずゐぶんさみしかつた。
さみしい夕餉だつた、―素湯に干大根だけだつた。
(『其中日記』昭和八年三月十三日)
掲句は二人が帰った後に詠まれています。「ごつちや」には雑然と入り混じっている様という意味のほかに、期待と不安が一になった複雑な心境という意味があります。敬治と共に寝転ぶ部屋に月明かりが差し込む中、山頭火が思うことは多かったのではないでしょうか。句友たちに囲まれて過ごす日々の楽しさと、己の抱える負の感情との間で板挟みになった苦しみを感じられる一句です。