昭和十四年三月、当時住んでいた湯田温泉の風来居を出発して東上の旅に出た山頭火は、四月に浜松に立ち寄りました。自由律俳誌『層雲』同人の細谷野蕗の家に数日間滞在し、その間に浜名湖めぐりをした際に詠んだのが掲句です。
「いのちありて」は、風来居からはるばるやってくることができたのも命あってのことだという意味でしょう。
「花くもり」は「花曇り」で、桜の花が咲く季節の曇天のことを言います。山頭火は昭和十一年にも四月に浜名湖を訪れており、そのときにも「花ぐもり」という言葉を使って
どうやら晴れてる花ぐもりの水平線
と詠んでいます。同じ時期に同じ土地を訪れ、天気も同じように花ぐもりだった三年前のことが、懐かしく思い起こされたのではないでしょうか。
「いのちありて浜名湖は花くもりの」は、あれから生き延びてまた来ることができたこの浜名湖はあの時と同じように花曇りだ、という意味に受け取ることもできます。
「さざなみ」を詠んだ句はいくつかありますが、このときの旅の帰路でも次のように詠んでいます。
琵琶湖(ウミ)はまさに春こまやかなさざなみ
ほかにも、
ちよいと渡してもらふ早春のさざなみ 昭和十三年 さざなみの島はまことに菜の花ざかり 昭和十四年 テープうつくしく春のさざなみ 昭和十四年
等のように、春のやわらかな風がさざなみを立てている様子が詠まれており、明るくさわやかな印象があります。
掲句でも、風が吹いて湖の水面にさざなみが立っている情景が思い浮かびます。
「花くもり」という語から連想される暖かな春の倦怠感はこの句にはなく、湖の水面を風が吹き抜ける情景は、命あってここまでやって来た旅路のこの先に期待をもっているようでもあります。