昭和十年七月、小郡の其中庵に住んでいる時期に詠まれた句です。前書きにある「樹明」は国森樹明で、其中庵時代の山頭火を支えた友人の一人です。小郡農学校に勤めていた樹明は、頻繁に其中庵を訪れています。
句には風鈴が出てきますが、山頭火は昭和八年に『層雲』仲間の伊東俊二から松笠風鈴を贈られています。松笠風鈴は宮城の伝統工芸品で、鋳物のざらざらした表面に無数の穴が空いているのが特徴です。掲句の風鈴も、俊二から贈られたものを詠んだのでしょう。
其中庵時代の山頭火の句には、掲句同様に「樹明君」等と前書きがあるものがいくつもあり、掲句のように樹明の来訪を期待したり喜んだりしている句も何句かあります。
いつもたづねてくれるころの夕風がでた(樹明君に二句) 昭和八年
夕風がでてあんたがくるころの風鈴の鳴る(樹明に) 昭和九年
中でも特に右の二句は、樹明がいつも訪ねて来てくれる頃合いに風が吹き出した、という点で掲句と共通しています。
詩歌などにおいて、風で家の周りのものが揺れることによって誰か来たのではないかと錯覚するという発想は古くからあります。山頭火の句にもそのような発想から、風が吹くことによって誰かが来るのを期待する、と詠んでいるものが、掲句や先に紹介した二句のほかにもあります。
草のそよげば何となく人を待つ 昭和十年
風鈴しきり鳴るだれか来るやうな 昭和十年
なお掲句は日記に書かれた句ですが、これを推敲して句集では
あんたが来てくれさうなころの風鈴
としています。「しきり鳴る」が削除され、流れと余韻が出ていますが、掲句の「しきり鳴る」がある形の方が、来訪を待って焦れる気持ちがより強く感じられるのではないでしょうか。
いつも樹明君が来る頃合い、ちょうど風も吹き出して風鈴がしきりに鳴っているが、樹明君はまだ来ないのだろうか、と来訪を心待ちにする心情が伺える句です。