あけはなち月をながめつつ寝る│昭和十五年九月

解説

『一草庵日記』昭和十五年九月十六日初出。この年は紀元二千六百年記念行事が催された一方、日中戦争の長期化と欧州での第二次世界大戦の激化を受けて大政翼賛会が発足するなど、日本国内でも戦時体制が急速に強化された時期です。日記でも護国神社や切符制、配給制といった言葉が散見され、山頭火もまた戦時下の社会を生きていたことがうかがえます。

掲句が詠まれた当日は中秋の名月で、月を眺めたり読書をして過ごしていたようです。しかし来客がなく、寂しさを覚えていたのでしょう。日記では松山で世話になっている高橋一洵の名を挙げて不満を漏らしています。さらに、続けて尾崎放哉の句に触れています。

こんなによい月夜だのに誰も来てくれなかつた、一洵和尚、どうしましたぞ!

放哉坊の句をおもひださずにはゐられなかつた。―

  こんなにもよい月をひとりで観て寝る 放哉

山頭火は生前の放哉に多大な影響を受けており、行乞の旅に出た背景にも放哉の死があるとされています。昭和二年末に四国を巡った際には終焉の地である小豆島を訪ね、墓参しています。山頭火がこの句を引用したのは、自身の感じていた孤独と重なるものがあったからでしょう。

日記の結びには

とにかく節制(、、)へ、そして簡素(、、)に、そしてそれから枯淡へ。

とあります。「枯淡」は俗世間の名声や利益に捉われない様を指します。山頭火はこの日記を記した約一ヶ月後に亡くなっています。自らの死を意識しながら、生き方を見つめ直していたのかもしれません。美しい中秋の名月を題材にしながら、一人で月を眺める山頭火の物寂しさが感じられる一句です。