おちてしまへば蟻地獄の蟻である│昭和十年六月  

解説

『其中日記』昭和十年六月二十一日初出。山口市小郡の其中庵で暮らしていた時期の句です。前年三月から四月末にかけて信州に赴き、江戸時代の俳人・井上井月の足跡を辿る旅に出ましたが、道中で急性肺炎に罹患して入院し、旅を断念して帰庵しました。その後もしばらく精神的に不安定な状態が続いていました。

掲句が記された頃も其中庵で過ごしており、前後の日記には自堕落な生活を送る様子が率直に記されています。同日の日記には次のようにあります。

けふもぢつとして読書したり句作したり。
何といふ嫌な夢だつたらう、それはエロでもグロでもなく、あまりになま〳〵しく現実的だつた。
(『其中日記』昭和十年六月二十一日)

「なま〳〵しく現実的だつた」という表現は、逃れがたい現実に直面する不安を示唆していると考えられます。

蟻地獄はウスバカゲロウの幼虫で、砂地にすり鉢状の巣を作り、落ちてきた昆虫を捕らえます。その性質から、文学作品では抜け出せない状況や、藻掻くほど深みにはまる状態の比喩として用いられてきました。現代文学に多く見られる題材ですが、高浜虚子らの近代俳句にも詠まれています。

蟻地獄に足を滑らせた生物は、脱出を試みるほど巣の奥へ引きずり込まれるとされています。「蟻地獄の蟻」とは、そのような逃れがたい状況に置かれた己の姿を指しているのでしょう。結びを「である」と断定することで、すでに抜け出せない状態にある自らを客観的かつ冷静に見据える視線が強調されています。そこには、自身の置かれた現状への厳しい認識とともに、ある種の諦観が滲んでいます。一度踏み外せば元には戻れないという人間の在り方を、簡潔かつ寓意的に詠んだ一句です。