『其中日記』昭和十一年五月二十五日初出。前年十二月に其中庵を発ち、松尾芭蕉らのゆかりの地を訪ねる旅の最中にありました。当時五十三歳の山頭火にとって負担の大きい旅程でしたが、先人の足跡を辿り、己の道を確立することを決意したのです。
掲句が記された頃は北関東に滞在しており、日光白根山や草津を訪れ、万座温泉の日進館に宿泊しています。万座温泉は草津白根山の山麓にあり、標高は一八〇〇メートルにおよびます。慣れない雪解けの山道に苦戦していたようで、日記には次のように記しています。
山、山、山、うつくしい山、好きな山、歩き慣れない雪の山路には弱つたが、江畔おくるところの杖で大いに助かつた、ありがたし〳〵。
(『其中日記』昭和十一年五月二十五日)
山頭火は二週間ほど前から信州の『層雲』同人である関口江畔のもとに滞在していました。信州では江畔から若山牧水のことを聞いたり、松尾芭蕉の句碑や島崎藤村の詩碑を訪ねたりしています。また、同日の日記には次のようにも記しています。
万座は交通の不便で助かつてゐる、草鞋穿きで杖をつかなければ登つて行けないところに万座のよさの一つがある。
句の前半は冒頭の「杖よ」という呼び掛けに始まり、「どちらへゆかう」と問う構成になっています。独り旅を続ける山頭火にとって杖は単なる道具ではなく、伴侶のような存在だったのでしょう。放浪の旅の寂しさや孤独が伝わってきます。
旅の孤独さを詠んだ前半に対して、後半では高山地帯で感じた春の訪れや温かさが表現されています。一足遅く春を迎える高山地帯にあっても、自然や四季を愛した山頭火の在り方は不変だったのでしょう。
