昭和十四年四月十六日、旅先での句。長野への道中、四月十四日に愛知県刈谷市の句友池原魚眠洞(ぎょみんどう)のもとを訪ね、十六日には矢作川へ吟行に出かけています。この日の山頭火の日記には
はこべ花さく旅のある日のすなほにも
さくらがちれば酒がこぼれます
等の俳句しか書かれていませんが、『層雲』第二十九巻第二号(昭和十四年六月)の句会通信欄に掲載された「山頭火氏来洞俳筵」という魚眠洞による記事には、この日のことが詳細に記されています。
十六日は日曜を幸矢作川の上流に吟行といふことにして、蓮子さんを加へて一行四人で出発。(略)矢作川の上流、明治用水の水源地は桜の名所として数へられるところであるが、(略)いつてみると、遅い桜がほんの盛りを過ぎたばかりのところであつたので、大歓びをしたことであつた。
一行四人というのは、山頭火、魚眠洞、魚眠洞の息子、そして同じく『層雲』句友の大橋蓮子のことです。川の上流の方まで歩き、花見をしたようです。
掲句の「心がひらける」という表現は現在ではあまり使われないかもしれません。「ひらける」は「閉じているものが広がりあく。また、さえぎるものがない。」というような意味があり、より細かい用法を見ていくと、「心がひらける」等の表現をする際には「心が晴れる」という意味をもちます(日本国語大辞典)。
句の前半は、「青麦ひろびろ」と麦畑が青々と広がっている情景を詠み、後半では「ひらけるこゝろ」と心情を述べます。そしてその情景と心情は、「ひろびろ」「ひらける」という二語の音の類似、そして広がっていくようなイメージの類似によって繋がりをもっています。
春の風景を楽しみながら友人たちと出かける山頭火の、心が清々しく晴れわたっている様子を、「青麦ひろびろ」という自然描写や「ひろびろひらける」という音によって重層的に表現している俳句です。
