初出は『行乞記』昭和七年一月十六日付「いつまで旅する爪をきる」という句です。前年十二月二十二日に当時暮らしていた熊本を発ち、三度目の行乞の旅を始めました。掲句が記された日は九州の宿で過ごし、近隣の町で行乞を行っていたようです。また、同時期には句集出版に向けた話も動き始めていました。
三度目の行乞の旅での最大の目的は、九州西国霊場の寺々を参拝し、「九州三十三所観音巡礼」を結願成就させることにありました。旅に出発した翌日の昭和六年十二月二十三日には、友人の木村緑平に宛てて次のような書簡を送っています。
ほんたうにすみませんでした、私はまた草鞋をはかなければならなくなりました、近々お訪ねいたします。
ふるさとを去る今朝の髯剃る
(昭和六年十二月二十三日付 山鹿にて 木村緑平へ)
山頭火は大正十五年に最初の旅に出て以降、旅は己の人生そのものであると内省することが多々ありました。「爪をきる」という表現からは、旅が特別なものではなく、日常の一部として根付いていることがうかがえます。掲句が詠まれた時期も同様で、同日の日記でも次のように記しています。
とにかく井師のやうに、私は旅に出てゐなければ句は出来ないのかもしれない。
(『行乞記』昭和七年一月十六日付)
一方、「いつまで旅する」という表現からは、自嘲めいた響きが感じられます。山頭火自身、九州行乞の後には結庵を目指すようになったことから、旅することでしか句作に活路を見出すことができないことに葛藤を抱いていたのかもしれません。放浪の旅と句作に生きた山頭火の、率直な心情が垣間見える句です。
