昭和十四年四月二日、広島県三原市の佛通寺で詠まれました。
前月末に湯田温泉を出立し、東へ向けて旅に出た山頭火は、まず広島の句友、大山澄太を訪ねました。そして澄太とともに佛通寺に参拝します。
佛通寺は臨済宗の寺院で、三原市の山間、仏通寺川のほとりにあります。澄太が昭和四年頃に参禅し修行をした寺で、山頭火は澄太に連れられて訪れたようです。掲句の「お山」は、この佛通寺を指していると考えられます。
この日の日記には「山声水声雨声、しづかにもしづかなるかな」と自然に囲まれた寺の静けさを記しています。また
あけはなつや満山のみどり
山のみどりのふかぶか雲がながれつゝ
のような句も詠んでいます。日記にはまた、
夜が更けたので泊めてもらつた、澄太君はやすらかな寝息で睡れているのに、私はいつまでも眠れなかつた、ぢつとして裏山で啼く梟の声を聴いてゐた、ここにも私の修業未熟があらはれてゐる、恥づべし。
と書いています。
山頭火はふくろうをしばしば句に詠んでいますが、その多くは不眠を詠ったものです。同時に、ふくろうの鳴き声が響く夜を詠んだ句もあります。
ふくらうはふくらうでわたしはわたしでねむれない 昭和九年
冴えかえる月のふくらうとわたくし 同
旅の月夜のふくろう啼くか 昭和十四年
不眠に苦しめられていた山頭火はこの日も眠れず、眠れないことに対して「ここにも私の修業未熟があらはれてゐる、恥づべし」等と日記に書いています。
しかし、掲句からは眠れない苦しみや恥というような心情は感じられません。「お山はしづかな」に対して、「ほんに」(本当に)という深い肯定の語があるためでしょうか。ふくろうの鳴き声が響くほど佛通寺の夜が静かである様子が詠まれており、厳かな空気感が伝わってくるようです。