昭和十二年の十二月三日、自身の誕生日に其中庵で詠んだ句です。この句は、木村緑平宛てのハガキの中で次のように書かれています。
今日は私の第五十五回目の誕生日、酒はありませんけれども米はまだありますので、ひとりで、のんびりと思索することが出来ます、おもひでが雲のようにむらがりひろがつて、感慨にたへません。
けふの日までは生きて来た寒い風が吹く
またこの日の日記にも、
終日無言、酒はないけれど米はまだあるので、落ちついて読書した。
夕方、一杯やりたくなつたが、ぢつとこらへて早寝した。
さびしい一日、さびしすぎる誕生日であつた。
とあります。これまでの人生のさまざまな場面を思い出しながら、誰も来ない其中庵でひとりさびしく過ごした一日だったようです。
「けふの日までは」と、自分が生れてからちょうど五十五年になる誕生日という特別な日であることを強調しています。「生きて来た」という語は、山頭火が二年前に自殺未遂をしているということを踏まえると、生々しい実感が込められているように感じられます。その上で、今の自分には「寒い風が吹く」と言います。「寒い」という体感によって表されているのは、ハガキや日記にも書く「ひとり」の「さびしさ」ではないでしょうか。山頭火の句には次のような句も見られます。
何でこんなにさみしい風ふく 昭和七年
風は何よりさみしいとおもふすすきの穂 昭和十一年
山頭火はあたたかな春風や爽やかな風も句に詠んでいますが、中にはこれらの句のように、風に吹かれることでさみしさが募る様子を詠んでいるものもいくつもあります。
掲句も、「寒い風」と表現することで、今日の誕生日までは生きながらえてきた喜びや安心感もありつつ、寂しい思いが勝っているように感じられます。
心を許せる親友である木村緑平に宛てて書いた、「寂しい」と思う心の内を吐露するような俳句です。