ふりかへらない道をいそぐ│昭和五年十月

解説

 昭和五年十月二十二日に詠まれた句。九月に熊本を出発して九州を旅していた時期です。
 「ふりかへらない道」は、ただ前だけを見据えて進む自分の生きる道でしょうか。この年の九月にそれまでの日記や手記を焼き捨て「過去一切を清算」しているように、山頭火は過去に捉われてはいけないと自分をいさめることがあり、掲句にも、そのような山頭火の意思を感じることができます。

 一方、この句が詠まれた状況を探ってみると、また異なる解釈も可能です。
 この頃山頭火は宮崎を歩いており、十月二十一日には宮崎の『層雲』同人中島闘牛児と黒木紅足馬に会っています。掲句はその翌日の項に書かれていますが、二人との別れについては「八時出立、途中まで紅闘二兄が送つて下さる」と書いているのみです。
 それから十年後、闘牛児が『層雲』の山頭火追悼特集に書いた「木賃宿の一隅」では、この別れのときのことをより詳しく記しています。

十月二十二日、日向路の秋もやゝつめたくなつた朝、けふから北へ。私が見送つて行くと、もう別れよう、どこまでいつても同じことだ、こゝでと、何回か。それでは、どうせ、行く君と、とゞまる私だ、脚気に気をつけてもらひたいといふと、大丈夫、大丈夫、だが僕は返り見しないよ、振り返ると、どうも足が進まないからな、と、人ごみに見えなくなるまで、佇んでゐた私に山頭火君は、遂に見向かないで。
(『層雲』第三十巻第八号・昭和十五年十二月)

後年の回想ではありますが、掲句は、このときの状況を詠んだものとも考えることができます。見送ってくれている友人を振り返ってしまうと、後ろ髪を引かれて足が進まない、だから振り返らずに急いで歩くという情景です。
 旅の中で友人たちと会う温かな時間が代えがたいものだからこそ、後ろ髪を引かれながらもその気持ちを自ら抑え、孤独な旅を続ける山頭火の姿が想像できます。