昭和七年、山頭火は九州を旅したのち、五月三日に山口にやってきました。真っ先に訪れたのは古くからの友人で当時徳山に住んでいた久保白船のところでした。その後、福川で一泊したのち九日には小郡に向かいます。日記からは、椿峠を経て富海まで三里(約十二km)歩き、そこから汽車に乗って小郡に行ったことが分かります。
掲句は福川から小郡へ移動した日に詠まれたもので、富海まで歩いたとき、もしくは小郡での情景ではないかと想像できます。
「水音」は川の流れの音でしょうか。
「クローバー」はもとはヨーロッパ原産で、「シロツメクサ」とも言います。日本には江戸時代の末期に入ってきていますが、繁殖力が強く、現在では全国で野生化しています。山頭火にとっても珍しくなかったのかもしれません。
句では「クローバーをしく」とあります。クローバーは茎が地面を這って伸びるため、一面に広がるように生えます。「しく」という言葉は、クローバーがあたり一面に、まるで大きな一枚の布を敷いたかのように広がっている様子を的確に表現しています。
川の流れの音が聞こえ、あたりにはクローバーが広がっているのどかな情景が詠まれている句です。ありふれた自然の景色ですが、その情景が映像的な奥行きを伴って浮かび上がってきます。
日記を読むと、この数日前には友人白船との再会を喜んでいる様子が書かれており、「悠々として一日一夜を楽しんだ」等と記しています。このように、「悠々」と落ち着いていた山頭火には、自然に耳を傾け目を向ける余裕があったのではないかと思われます。ありのままの自然の風景を受け取る山頭火の穏やかな心持ちもうかがえるようです。
参考 木村陽二郎監修『図説花と樹の大事典』(柏書房株式会社・1996)