昭和七年七月四日の句。この頃の山頭火は、川棚に庵を構えようと奮闘していました。俳句仲間たちから資金を援助してもらいながらも、身元の保証という点において難航していたようですが、この日に地元の人に保証人になってもらう見込みが立ち、夜ふけには「知友へ、いよ〱造庵着手の手紙を何通も書きつゞけ」たと日記にあります。
日記を引き続き見ていくと、翌五日には
曇、后晴、例の風が吹くので、同時に不眠の疲労があるので、小月行乞を見合せて籠居。
と書いており、小月(現下関市)への行乞を計画していたが結局取りやめたということが分かります。
さて、これらを踏まえたうえで四日に詠んだ掲句に戻ると、眠れない夜更けにふと夜空を見上げ、明日の行乞について思いを巡らせている様子が表現されています。
天の川は夏の夜によく見える、帯状に淡く光る星の集合です。句では「まうへ」とありますが、天の川が頭の真上、すなわちちょうど南北に渡るように見えるのは、七月上旬では深夜0時過ぎです。不眠に悩まされていた山頭火は、この日も日記に「徹夜してしまつた」とあるように眠れない夜を過ごしていますが、句ではそのことを「まうへ」という言葉で表現しています。
また、「天の川まうへ」という句の後半は、潔い言い切りになっており、さらに「ア」音が多用されているところからも、夜空を見上げた時の開放感が伝わってきます。
この句から感じられるのは、明日も出かける予定があるのに眠れないという少しの不安と、同時にその不安をも打ち消してしまうような星空の果てしなさでしょう。