ゆふ空から柚子の一つをもらふ|昭和七年十月

解説

 昭和七年十月十二日の日記に、
  ゆふ空から柚子の一つをもぎとる
という句が記されています。これを推敲して第二句集『草木塔』に掲載したのが、掲句です。
 この年の九月、山頭火は小郡町(現山口市)に「其中庵(ごちゅうあん)」を結庵し、放浪の旅にいったんの終止符を打ちます。安住の地を得た山頭火は、日記に次のように書いています。

或る友への消息に、――
……私もだん〱落ちついてきました、そして此頃は句作よりも畑作に身心をうちこんでをります、自分で耕した土へ自分で播いて、それがもう芽生えて、間引菜などはお汁の実としていたゞけるやうになりました、土に親しむ、この言葉は古いけれど、古くして力ある意義を持つてゐると痛切に感じました。……(十月十二日)

とあります。この頃の日記には、其中庵の周りにある柿の木や柚子もしばしば登場します。
 さて、柚子を詠んだ句をほかにも見ていくと、
  ゆふ空の柚子をかぞへるともなく (昭和八年)
  けさの空の柚子のいろづきやうは (昭和八年)
  柚子の木へ夕日がさして柚子の実 (昭和八年)
  ゆふべあかるくいろづいてきて柚子のありどころ (昭和九年)
などがあり、今回の句と同じく「ゆふ空」「夕日」「ゆふべ」等の言葉がよく使われていることが分かります。
当該句では、赤やオレンジに染まっていく夕焼けの空に、緑から黄色へ変わっていく柚子の実が馴染むように描かれています。淡い色合いの絵画を見ているような句です。
 その柚子を空から「もぎとる」と詠んでいたのを、句集に入れるときに「もらふ」と直しています。実際の行動としては「もぎとる」ではあっても、それを「もらふ」行為と捉えているのです。もともとは夕空のものだった、より大きく言えば自然のものだった柚子を、その馴染んでいた夕空から一つだけいただく、という解釈ができるでしょう。
 山頭火の自然に対する敬意や感謝の気持ちが伺えます。