企画展マメ情報③

みなさまこんにちは。
山頭火ふるさと館学芸員の高張です。

現在臨時休館中ですが、企画展「山頭火に出会った人々」は10月17日まで開催します。
休館中はスタッフブログや、オンラインギャラリートークで企画展をお楽しみください!

さて、今回は4人の「出会った人々」のうち和田健(わだたけし)をご紹介します。

和田健が山頭火と深い交流を持ったのは昭和13年~14年で、短い期間ではありましたが、お互いに影響を受け合ったようです。和田は後年、山口県の郷土文学研究者として山頭火についても詳しく調査をし、『山頭火の話』(平成3年)や『山頭火よもやま話』(山頭火ふるさと会、平成13年)にまとめています。その中では、調査の成果とともに、実際に出会った山頭火の姿をありありと残してくれています。

山頭火も列席していて、私の隣のいすに座っていたが、さいさい席を外す。どこに行くのかと見ていると、まん前の山田酒舗で一杯ひっかけるのである。戻って来ていわく「いかに非常時とはいえ、僕のガソリンだけは許してくれ給え」。短い山羊ひげの童顔は、なんとしても憎めない…と、私は当時の記録に書いている。(『山頭火の話』)

和田健が山頭火に初めて出会ったときのことを回想しています。憎めない、というのは山頭火の人柄ゆえでしょうか。

栄誉を希まず、わが道をひたすらに歩んだ山頭火。昭和八年一月六日の日記に、私は心をひかれた。(引用は原文のママ)
(略)
△腹を立てない事、嘘をいはない事、無駄をしない事。
続く山頭火の言葉がスゴイ。「私は執着を少くするために、まづ骨肉と絶縁する」。
私はかねがね山頭火を雑草詩人と評してきた。山頭火は踏まれても、無視されても起き上がった。山頭火は今流行の観葉植物ではない。ガーデニング的存在でもない。
大地にしがみついて、俳句即人生に命をかけてきた。これぞまさに雑草精神である。(『山頭火よもやま話』)

この言葉は和田健晩年のものですが、山頭火と交流していた頃も、「わが道」である俳句と真っすぐに向き合う山頭火の精神に、同じ文学を志す者として惹かれたのではないでしょうか。