腹いつぱい飲んで寝るふるさとの水|昭和九年八月

解説

 昭和九年八月の句。佐野に住んでいる妹を訪ねたときのものです。
 山頭火の同母の妹シヅは、右田村佐野(現・防府市佐野)の町田家に嫁いでおり、山頭火は小郡に住んでいる時期、しばしば妹シヅを訪ねていっていました。
 昭和七年八月に妹を訪ねた際の日記には、

 久しぶりに家庭的雰囲気につゝまれる。
 夕食では少し飲みすぎた、おしやべりにならないやうにと妹が心配してゐる

 等と書いています。長い間家族や肉親と離れていた山頭火を、妹シヅは無下にせずに迎え入れてくれ、山頭火も血のつながった妹のところでは安心できたのでしょう。
 この句の「腹いつぱい飲んで寝る」という部分からも、家族だからこそ遠慮なく過ごすことができている様子が表現されています。「腹いつぱい」は、文字通りお腹が膨れるまで水を飲んだというよりは、満腹感を得られるほど心も満たされたという意味合いに受け取ることができます。

 山頭火はふるさとの「水」には特別な思いを持っていました。昭和八年に徳地で行乞した際には、佐波川の水を飲み、

 宿の前にある水は自慢の水だけあつてうまかつた、つめたすぎないで、何ともいへない味はひがあつた、むろん二度も三度も腹いつぱい飲んだ。

 と日記に書いています。また、昭和七年八月に佐野の妹を訪ねた際には

 やつぱりおいしい水のおいしさ身にしみる
  ふるさとの水だ腹いつぱい


 等の句を詠んでいます。

 ふるさと防府には、母の自殺や酒造場の破産等で居続けられなくなっており、日記でもふるさとのことを「留まり難し」と言っています。それでも、妹の家を訪れ、変わらずに美味しいふるさとの水を飲むことによって、満ち足りた気持ちになれたのかもしれません。