この句は、昭和十年八月十八日に詠まれました。前日十七日の日記に、次のように記されています。
樹明君に連れられて、椹野川尻で鮒釣見習。
おそらくこのときの様子を句に詠んだものと考えられます。「見習」とあることから山頭火はおそらく釣りにそれほど熟練してはおらず、手軽にできるフナ釣りをしたのでしょう。
この句の状況については、太陽の光を受けて光っている川の中から魚を釣り上げ、その魚もまた太陽の光を浴びて光っている情景だと説明できます。
しかし山頭火は、太陽の光を受けて水面が光る様子を、「水底の太陽」とあたかもそこに太陽があるかのように表現し、さらに釣った魚が太陽の光を浴びて光っている様子も、まるで光そのものを釣り上げたような表現をしています。水底にある太陽に釣り糸を垂らし、その太陽の光そのものを釣り上げた、というような幻想的な比喩を用いることによって、川や魚や水しぶきがきらきらと光る、明るい情景が思い浮かぶ句となっています。
さて、山頭火は、この句に発想のよく似た句を詠んでいます。
水底の雲から釣りあげた(昭和七年七月)
この句でも、水に映る雲が、まるで水底にあるように表現しています。また、水に映る空模様を詠んだ句もいくつか見られます。
水底の月のたたへてゐる(昭和八年五月)
水底の雲もみちのくの空のさみだれ(昭和十一年)
このような比喩表現は、山頭火が得意とするところだったのでしょう。今回の句でも、得意の比喩表現が光っていると言えます。