この句は、昭和五年十月二十六日、宮崎県の都濃(つの)町を行乞していた日に詠まれたものです。この日の日記を引用します。
ほんとうに秋空一碧だ、万物のうつくしさはどうだ、秋、秋、秋のよさが身心に徹する。
また、この日には次の有名な句も詠んでいます。
まつたく雲がない笠をぬぎ
この日は雲ひとつない秋晴れの日だったことが分かります。
今回の句を、前述の日記の文章や句とともに味わうと、秋晴れの雲がひとつもない青空に、飛行機だけが映えて飛んでいる様子が鮮やかに思い浮かびます。また、「ゑがく」という言葉によって、空を青いキャンバスに見立て、絵の具で一点を打って飛行機を描くことによって、この句の風景が出来上がっていく様子も想像できます。
山頭火の句には、このように、絵画や写真のように一瞬の情景を切り取ったような句が多く見られます。
さて、昭和五年には、飛行機を題材に詠んだ句が他の年よりも多く見られます。この日のほかには、次のようなものがあります。
泥炭山ちかく飛行機のうなり(十一月二十七日)
ボタ山もほがらかな飛行機がくる(十一月二十九日)
飛行機のうなりも寒い空(十二月三日)
飛行機着いたよ着いたよ波(十二月六日)
飛行機飛んで行った虹が見える(十二月六日)
日本では昭和三年(一九二八年)に日本航空運送が設立され、昭和五年には大阪―福岡間で週九往復の民間機が運航されていたそうです。昭和五年に飛行機の句が多かったのは、当時飛行機が物珍しかったからでしょう。
(参考文献:『東洋経済株式会社年鑑 第10回』昭和七年版)