山のしづかさへしづかなる雨|昭和十一年七月

解説

 この句は、昭和十一年七月に詠んだもの。
 山頭火は前年の昭和十年の十二月から、「死に場所を求めて」旅に出ています。東京、新潟出雲崎、平泉を経て、旅の最後に立ち寄ったのは福井県にある永平寺でした。
 永平寺は曹洞宗の開祖である道元が開山した、曹洞宗の大本山です。山頭火は大正十四年に曹洞宗の報恩寺で出家をしていたため、永平寺参拝は念願だったのでしょう。ここで詠んだ句は、句集に「永平寺三句」として残しています。

   水音のたえずして御仏とあり
   てふてふひらひらいらかをこえた
   法堂あけはなつ明けはなれてゐる

 今月の一句に選んだ「山のしづかさへしづかなる雨」は句集には選ばれませんでしたが、山奥の静かな場所に雨が降り、静寂がいっそう深まるように感じられる情景が浮かび、「永平寺三句」と同様に心が落ち着いている山頭火の様子が伺えます。
 この旅の途中に書いた葉書の中で、山頭火は、

 私の中には二つの私が生きてをります、といふよりも私は二つの私に切断せられるのです、「或る時は澄み、或る時は濁る」と書いたのはそのためです、そして澄んだ時には真実生一本の生活を志して句も出来ますが、濁つたときにはすつかり虚無的になり自棄的になり、道徳的麻痺症とでもいふやうな状態に陥ります

 と記しています。精神的に不安定な状態で旅に出、約八か月歩いた末に永平寺において、これらの句に見えるような「澄んだ」状態にたどり着いたようです。
 「しづかなる雨」が、山頭火の心の濁りをも洗い流していく、そんな情景も思い浮かぶ句ではないでしょうか。