この句は、昭和七年六月十七日、下関・川棚の木下旅館に宿泊している時期に詠んだものです。山頭火は川棚が気に入り、木下旅館には数か月留まっていました。
この日の日記を引用します。
このあたりも、ぼつぼつ田植がはじまった、二三人でも唄もうたはないで植ゑてゐる、田植は農家の年中行事のうちで、最も日本的であり、田園趣味を発揮するものであるが、この頃の田植は何といふさびしいことだらう、私は少年の頃、田植の御馳走ー煮〆や小豆飯やーを思ひだして、少々センチにならざるを得なかった、早乙女のよさも永久に見られないのだらうか。
このように、田植の時期になったが、近ごろ田植の行事が寂しくなったと綴っています。
しかし、この句には、そのような批判的な目線はありません。詠んでいる情景としては、単純に、青空が映っている水田で田植えをしている情景です。
山頭火は水面に何かが映っている情景を句に詠むことがよくあります。
水に朝月のかげもあつて(昭和七年)
朝の雲朝の水にうつり(昭和七年)
月も水底に旅空がある(昭和八年)
水にうつりて散つてゐるのは山ざくら(昭和十四年)
これらの中でも、今回の句では、青空が映る水田を「青空」と言い切っており、「青空に植ゑ」る、というように幻想的な印象を与える表現をしています。
山頭火の句の中でも、表現に工夫をしているもののひとつだと言えます。