春がきた水音のそれからそれへあるく|昭和九年二月

解説

 この句は、山頭火が其中庵に住んでいた頃の日記に書かれています。

 晴、寒い、いよいよ出立だ。
   (略)
 まことに久しぶり行乞の旅である、絡子(らくす)をかけることを忘れたほど、あはてゝいそいだ(これは禅坊主として完全に落第だ!)
 峠はよいかな、よいかな、昔の面影が十分に残つてゐる、松並木がよい、水音がよい、風もわるくない。

 この日は、福岡方面への一週間ほどの短い旅に出かけた日でした。流れてゆく水の音を聞きながら、これからの旅に思いを馳せている様子が浮かびます。「流れゆく水」は、鴨長明『方丈記』の冒頭にも、「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず」とあるように、「無常」の象徴でした。「それからそれへ」あてもなく歩く山頭火は、そのような水に何か共感する部分があったのかもしれません。
 また、同じ日には

   これから旅も春風の行けるところまで

 という句も記されています。この句は、水ではなく春風に誘われて旅への思いを募らせている句です。
 さらに、二月十四日には、「へう〱として歩かなければ、ほんたうの山頭火ではないのだ!」と記しています。

 しかし一方、一週間ばかりの旅から帰ってきた日の日記には、「其中一人のうれしさよ。」とも記しており、其中庵に戻ってきたことに安心している様子も伺えます。

 旅に生きた山頭火でしたが、其中庵や一草庵のような安住の生活に安心感を覚えていたことも確かなのです。