常設展示室にて「山頭火の妻 サキノの手紙」を開催しました

 令和4年3月18日~令和5年4月9日まで、常設展示室にて「山頭火の妻 サキノの手紙」を展示しておりました。
 その様子をここにご紹介します。

 今回展示したのは、そのサキノが実家に宛てたはがき3点と、サキノの実家のある佐波郡和田村高瀬(現周南市高瀬)の大正時代の様子を描いた絵図です。
 はがきは、大正時代、大道に住んでいた時代のもの2点と、山頭火と離婚した後のもの1点を展示しました。大正時代のものは、実家の家族の安否を尋ねるなど細やかな心遣いが伺え、一方では種田家の営んでいた酒造業のための資金繰りに奔走している様子が見られます。
 離婚後のものは年賀状で、その年の干支のサルの絵が印刷されていました。

 サキノは明治42年、当時大道村で酒造場を営んでいた種田家の長男・正一と結婚しました。
 その後、酒造場が破産し熊本へ移ります。古書店『雅楽多』を経営し始めますが、山頭火は俳句に熱中しており、ついには妻子を置いて上京しました。その状況を見て、実家の両親や義兄が山頭火に離婚届を送り付け、大正9年、山頭火とサキノは離婚することになりました。
 種田家や山頭火に振り回され女手一つで息子を育てたサキノですが、再婚したり実家に戻ったりすることはなく、さらに山頭火没後も俳人・種田山頭火の妻であった女性として生きています。

 この展示ではそのようなサキノの実家に対する思いがうかがえる直筆のはがきと、生まれ育った高瀬の様子を併せてご覧いただきました。

【展示作品】
種田さきの 佐藤寿子宛てはがき(大正四年八月三十一日)
種田さきの 佐藤光之輔宛てはがき(大正四年十月二十一日)
佐藤さきの 佐藤誠一ほか宛てはがき(昭和七年一月一日)
大正時代髙瀨懐古図(山田邦生・平成七年)