戦時下の社会の中でできることは句作に専念することだけだと言う山頭火は、昭和14年に第六句集『孤寒』、15年に第七句集『鴉』と一代句集『草木塔』を出版しています。
第六句集『孤寒』の前半は「銃後」と見出しが付けられ、そこには25句が収めています。今回は、その中からいくつかをご紹介していきます。
ふたたびは踏むまい土を踏みしめて征く
しぐれて雲のちぎれゆく支那をおもふ
一句目は出征する人を見送る句です。「ふたたびは踏むまい」、すなわちもう生きて戻って再び踏むことができないかもしれない土を、その感触を覚えておくかのように「踏みしめて」出発する様子が詠まれています。「踏みしめて」に別れを惜しむ感情が表れています。
一方二句目は、そのようにして兵士たちが出征していった先を、空を見ながら思いやっています。
「銃後」の句の中でも多いのが、戦地で亡くなった兵士たちの遺骨を迎える際に詠んだものです。
遺骨を迎ふ
しぐれつつしづかにも六百五十柱
もくもくとしてしぐるる白い函をまへに
山裾あたたかなここにうづめます
遺骨を迎へて
いさましくもかなしくも白い函
遺骨を抱いて帰郷する父親
ぽろぽろしたたる汗がましろな函に
その一片はふるさとの土となる秋
前書きに「遺骨を抱いて帰郷する父親」とある句は、わが子の遺骨を抱えて戻ってきた父親の立場になって詠んだもので、句では涙のことを「汗」と表現しています。悲しみをこらえている父親の様子がいたいたしく伝わってきます。
「銃後」の句はこのように、前線に赴いた兵士たちを思うものが多いのですが、一方で次のような句も詠んでいます。
雪へ雪ふる戦ひはこれからだといふ
勝たねばらない大地いつせいに芽吹かうとする
特に二つ目は、「勝たねばならない」と非常に直接的な表現が使われています。春になって植物が一斉に芽を開き始めることを、「勝つ」ことへの希望のように表現しています。
戦争のさなかにあって、現状を客観的に見通すことは非常に難しいことです。特に情報統制によって前線で何が起きているのか常に把握しておくことは不可能に近かったのではないでしょうか。そのような中、日本人として「勝たねばならない」と言いながらも、日本に生きる人間一人一人に目を向け、亡くなった兵士たちの鎮魂と平和への願いを込めて銃後の句を作ったのでしょう。