企画展マメ情報②

みなさまこんにちは。山頭火ふるさと館学芸員の高張です。
前回に引き続き、企画展「山頭火に出会った人々」でご紹介している友人たちをご紹介します。
今回は高橋一洵(たかはしいちじゅん)。

「もつともつと尊いものは魂の友としての翁」

この言葉は、前回ご紹介した大山澄太編集の『愚を守る 山頭火遺稿』の跋文(ばつぶん、後書きのこと)の中に出てきます。
この跋文は非常に長く、30ページ以上もあるのですが、
その中で一洵は、松山での山頭火との思い出を語っています。たとえば、

「お寺はしづかなぎんなん拾ふ」
という山頭火の句を紹介した後、
「私はいつか銀杏の木かげの無縁佛の砂の上にいつまでも坐つて動かない翁の後ろ姿を拜んだことがある。」
と回想します。

続いて、
「あゝ慥(たし)かに翁は一介の俳僧だけではなかつたのだ。俳人としての翁。それよりも、それよりも、もつと/\尊いものは魂の友としての翁である。流転極りなく淋しさ果てなき人生をただ一すぢに真実を求めて合掌の心貧づしく生きる聖愚の姿。それこそ翁の姿そのものでなければならぬ。」*

一洵が、山頭火の人生に愚直さや清貧さを見出し、そこに惹かれていたことがよく分かります。

一洵や松山の自由律俳人たちが、突然やって来た山頭火を献身的に支え続けたのも、俳句作品だけでなく、その人柄に魅力があったからかもしれません。

*『愚を守る 山頭火遺稿』(大山澄太編、春陽堂書店、昭和16年)跋文より