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山頭火の生涯

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種田山頭火

明治15(1882)年に防府に生まれた種田山頭火は、自由律俳句の代表的俳人です。

ふるさとで俳句に触れた山頭火は、自由律俳句という、五・七・五にこだわらない自由なリズムの俳句を作るようになりました。経営していた酒造場の倒産と一家離散、離婚、出家などを経て、大正15年に放浪の旅に出ます。句友に支えられながら、漂泊の旅と一時の定住を繰り返した山頭火は、昭和15年、松山に構えた庵で59年の人生を終えました。

旅と句と酒に生きた山頭火が、全国のあちこちで作った俳句は、今も、人々を魅了し続けています。

山頭火

旧小林寫真館本店 小林銀汀 撮影

山頭火略年譜

明治15年 十二月三日、山口県佐波郡西佐波令村(現在の防府市八王子二丁目)に、父竹治郎、母フサの長男として生まれる。本名、正一。
明治25年 三月、母フサが自死。
明治29年 私立周陽学舎に入学。文学回覧雑誌を始め、俳句を作り始める。
明治34年 七月に上京して私立東京専門学校(早稲田大学の前身)の高等予科に入学。
明治35年 九月に早稲田大学文学科に入学。
明治37年 二月、神経衰弱のため早稲田大学を退学。
七月に帰郷。
明治40年 先祖代々の屋敷を売却し、大道村に種田酒造場を開業。
明治42年 八月、佐波郡和田村の佐藤サキノと見合い結婚。
明治43年 長男、健が生まれる。
大正2年 荻原井泉水に師事し、雑誌『層雲』に自由律俳句を投稿し始める。
大正5年 酒造場が破産して一家離散。
山頭火は妻子を連れて熊本市に落ちのびる。市内で古書店「雅楽多」を開業。
大正9年 妻サキノと離婚。東京市事務員として一ツ橋図書館に勤務。
大正12年 九月一日、関東大震災の混乱の中、社会主義者と疑われて巣鴨刑務所に拘置される。
十月、熊本市に戻る。
大正13年 泥酔して熊本市内の市電を止める。
大正14年 曹洞宗報恩寺の望月義庵のもとで出家得度。熊本県鹿本郡植木町見取の観音堂の堂守となる。
大正15年 四月、行乞流転の旅に出る。九州、山陽、山陰を旅する。
昭和4年 北九州地方を旅する。
三月、熊本の「雅楽多」に戻る。九月、再び旅に出る。一月、「雅楽多」に戻る。
昭和5年 九月、以前の日記をすべて焼き捨て、再び旅に出る。
十二月、熊本市で一室を借りて「三八九居」と称する。
九州、山口を旅する。
昭和7年 六月、第一句集の『鉢の子』を出版する。
十二月、小郡町矢足に「其中庵」を結ぶ。
昭和9年 三月、長野にある俳人井月の墓参のために其中庵から旅に出る。飯田で肺炎にかかり入院し、四月末に帰庵。
昭和11年 東上の旅に出る。大阪、京都、伊勢、東京、信濃、新潟、山形、仙台を経て平泉に至る。七月に帰庵。
昭和13年 湯田温泉に「風来居」を結ぶ。
昭和14年 九月、風来居から四国へ渡る。四国を旅する。
十二月、松山城の北に「一草庵」を結ぶ。
昭和15年 山頭火を慕う仲間で「柿の会」を結成。一代句集『草木塔』を出版する。
十月十日、一草庵で寝ている間に隣室で句会が行われる。翌日未明に死亡。