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企画展

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山頭火の年賀状を紹介しています。今年のお正月は自宅から「おうちミュージアムへ初詣」!
※画像をクリックすると拡大します。

  • 明治四十五年一月二日
    山口県大道村より 山本国蔵宛て

    防府の俳句結社「椋鳥会(むくどりかい)」の仲間に宛てたもので、現存最古の山頭火による年賀状です。 当時は「田螺公(でんらこう)」という俳号を使っていました。
    俳句の中の「若水(わかみず)」は、元日に初めて汲む水のこと。

  • 昭和四年一月五日
    広島にて 木村緑平宛て

    木村緑平は、福岡の炭鉱医で『層雲』同人。山頭火を生涯にわたって支援しました。
    ゲルトとはお金のこと。「四大不調」を理由に、新年早々無心をしています。

  • 昭和八年一月九日
    山口県小郡町より 田代英叟宛て

    田代英叟は福岡県宗像市の隣船寺住職であり、俳号を俊といいました。
    山頭火は年賀状を新年になってから書いていたようで、この葉書も九日付になっています。

  • 昭和九年一月一日
    山口県小郡町より 木村緑平宛て

    木村緑平宛の葉書は現在400通以上残っています。筆まめな山頭火が最も頻繁に手紙を送っていた相手ですが、新年の挨拶として改めて葉書を出し、日ごろの感謝を伝えています。
    最後の添え書きは、新しい葉書がなかったため句友の国森樹明から来た年賀状を使ったということでしょうか。

  • 昭和十年一月一日
    山口県小郡町より 近木黎々火宛て

    近木黎々火は長府(現・下関市)に住んでいた『層雲』同人で、晩年の山頭火と親交が深かった人物です。小郡の「其中庵(ごちゅうあん)」にもしばしば訪れていました。
    年賀状でも早速、其中庵への来訪を誘っています。

  • 昭和十二年一月十三日
    齋藤清衛宛て

    齋藤清衛は、山口県熊毛郡出身の国文学者。山頭火とは昭和九年に出会い、句集の出版等に協力しています。

  • 昭和十五年一月一日
    松山市御幸町より 関口江畔・父草宛て

    亡くなる年の年賀状です。前年の十二月に松山市の一草庵に落ちつきました。宛先は長野の『層雲』同人の関口江畔・父草親子で、新しい住まいについて連挨拶も兼ねています。
    筆まめな山頭火ですが、多くの句友すべてに頻繁に手紙を出せていたわけではありません。年賀状が貴重なやり取りとなっていたようです。